100年夢庭日記

築100年超の古民家に住む猫のつぶやき

クロユリの黒いお話・その2

戦国武将・佐々成政は、織田信長の忠臣で、馬廻衆(信長の親衛隊)の中でも精鋭エリート集団である黒母衣衆の筆頭だったというから、相当な武力の持ち主。やがて信長の命で、織田家の重鎮・柴田勝家の与力となり、府中3人衆の一人として北陸地方の統治を任されたけれど、主君である信長を本能寺の変で失い、勝家が秀吉との主導権争いに破れてからは、仕方なく羽柴(豊臣)秀吉に仕えることに。

それでも、一旦は九州地方の統治を任され戦国大名に返り咲いたというから、秀吉も佐々成政の実力をある程度評価していたみたい。ただ、その後九州で一向一揆が勃発すると、成政はその責任をとらされて、最後はその釈明に向かう道中で足止めになり、秀吉から切腹を命じられ自害。戦いに破れたわけでもないのに切腹になった大名というのも珍しく、戦国武将としてなんとも中途半端な感じがすることから、悲劇的な最後と言われているらしい。

そして、そこに絡むのが「早百合伝説&黒百合伝説」なんだけど、その前に外せないのが「さらさら(ざらざら)越え」。

羽柴(豊臣)秀吉が天下を掌握しようとしていた頃、これに待ったをかけた織田信雄(信長の子ども)と徳川家康に誘われ、佐々成政も石川県の加賀地方(当時は秀吉側についていた前田利家が治めていた)に攻め入ったんだって。だけど、戦いが長期化する内に、自分を戦いに誘った二人はいつの間にか秀吉と和睦。誘われた方の成政は、周りを敵に囲まれて動きが取れない状態に。

それを打開すべく、当時愛知県にいた徳川家康を説得しに、12月の北アルプス越えを決行したんだって。厳冬の北アルプスを登山するのは並大抵のことではなく、凍傷や滑落で命を落とす者もいたらしい。しかし、そこまで必死の思いで会いに行ったのに、家康の返事はつれなくて、失意の内に富山に帰り、秀吉に屈服する…これが「さらさら越え」。

嘘みたいな無謀な話だけど、どうやらこれ、当時の状況からして、結構本当らしいよ。凄まじい体力&気力…つづく

 

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コテマリが咲き始めたよ♪

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ワイルドストロベリーはいつでも元気!

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アジュガがわさわさ…

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近くで見るとこんな花。

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すっかり死に絶えたと思っていた芝桜が咲き始めた!

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空高く枝を伸ばすザクロ。ザクロの新緑は緑というよりオレンジ色。